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オリジナル短編小説

【僕とご主人様の関係】

 初日。



 僕の名前は鈴村叶(すずむらかなえ)。なんだか男なんだか女なんだかわからないような名前ではあるけれど、それはそういう名前の人の重大なコンプレックスであることが多いので触れないのがマナーというものです。さて、今現在僕がどこにいるのかと申しますと、地元の病院の屋上、それも安全を考慮して設置された高いフェンスの向こう側です。そう、ここまで言えば僕が現在なにをしようとしているのかはお分かりでしょう。

 ええ、まぁ、自殺なんですけど。

 ジリジリと、キリキリと痛む胃。僕の胃はすでにかなり成長した癌に侵されているそうです。しかもリンパ節や肝臓に転移しており、なんというかもう、大変なことになっているのだそうです。通常胃癌というのは他に比べて侵行がゆるやかであるとのことですが、僕は現在高校2年生。3~5年の月日を経て大きくなっていくという噂の胃癌が既に危険レベル。しかも体の各地に転移しているのだとか。どういうことなのでしょう。これまで病気どころか風邪すらほとんど患ったことがない僕が・・・入院経験なんて過去に一度きり。それっきり病院に足を踏み入れることなどなかったのです。なかったのに、いきなりこれですよ。
 胃の不調は以前から感じてはいたのですが、なんだか妙だなぁ、くらいの印象しかありませんでした。普通は胃癌の初期症状で気づくところを、僕は家族に変な気の遣い方をしてしまったのです。まぁさすがに喀血したら病院に行くしかないんですけれど・・・。ちっくしょう、義理の父親とか弟妹に気を遣ったらもうゲームオーバーなんて、僕の人生はなんてベリーハードなのでしょうか。
 まぁいいですよ。僕は運良く一人っ子ではなくなったことですし・・・きっと再婚相手とか義理の弟妹が母さんを慰めてくれますよ。あと、残された家族はきっと健康診断を欠かさなくなるでしょうね。葬式費用をかけてしまうのは申し訳ないけれど、多分大丈夫だと信じましょう。きっと出会って3ヶ月の僕が死んだくらいで義理の父は仕事に手がつかなくなるようなことはないだろうし。癒えない傷は無いのです。言えない傷はたくさんあるけれど。
 さて、そろそろ飛ぼうかなぁ。
 ところで現在僕は、病院の裏側の縁に立っています。だって病院の正面入り口側に飛んで、もしも子供や看護婦に見られたりしたらトラウマを植えつけてしまうかもしれませんし、それで残った家族に余分な迷惑をかけてしまうのはよくないでしょう。なるべく人目につかず、死体の処理も簡単な方がいいはずです。ちくしょう、死ぬ直前だってのに妙に冷静な自分が嫌です。意外と自殺なんてものは、こういうものなのかもしれませんね。心の準備さえあれば大したことではないのかもしれません。
 汗がベトベトして気持ち悪いです。口から血を吐くコンディションで高いフェンスを上り下りしたらこうなるでしょうけど、体力の衰えがとんでもない勢いです。それと全身が痛いです。別に今は耐えられないことは無いですけど、もうじき体を動かすのにも一苦労するくらいになるはず・・・。そうなったら自殺もおちおちしてられません。といいますか、専門の大病院に移されたら自殺なんてできなくなるでしょうから、今が最大のチャンスというわけです。今ならほとんど治療費の出費も無いことですし。
 僕は病院の縁から4階分の距離の地上を見下ろします。あぁ、やっぱり高い。けど油断大敵です。脚から落ちてもしも助かったりなんかしようものなら目も当てられません。しっかり頭をかち割らないと。・・・でも怖いなぁ。実は僕、高いところって苦手なんですよね。思わず足が竦みます。けどやらなければ。僕は足に力を込めます。
 スリッパを脱いで、くしゃくしゃに丸めた遺書をそこに詰め込みます。遺書には『ごめんなさい。最初で最後の親孝行のつもりです』と書いてあります。息子の自殺を親孝行と捉えるバカ親ではありませんが、けれど母さんは闘病生活を必死で支えてくれるはずです。しかし僕はそれを望みません。そこまで母さんを縛ってまで助かりたくはありません。僕にはその真心は重すぎます。僕の命はそんなに重くありません。
 裸足になった足の裏で冷たいコンクリートを感じながら、はるか下方にある木の茂みの奥のコンクリートを見据えます。土では死ねないかもしれない。確実にコンクリートに着地しなければなりません。茂みの奥なら発見されることもそう容易ではないはずです。そして開けっ放しになった屋上への扉に誰かが気が付いて、脱がれたスリッパと遺書を見つける・・・上手くことが運べばいいのですが・・・。
「さよなら、世界」
 僕が両足に力を込めて、今まさに飛び立とうとした、その時。

「おい」

「ッ!!?」
 真後ろから突然聞こえた、透き通るような、けれどどこか幼い美しい声。あわてて振り返ると、すぐ目の前のフェンス越しに少女がいるではないですか。ほんのり栗色のボブカット。整った目鼻立ち。小柄な体格とそれを包む真っ白なワンピース。ここまで接近されているのに、全然気が付きませんでした。思えば僕が屋上への扉を開きっぱなしにしていたので、音も無くここまで忍び寄れたのでしょう。もしかしてこの子、普段は施錠されている屋上への扉が開きっぱなしになっていることに気が付いてここまで来てしまったのでしょうか。屋上を開放している病院なんて今の時代、そうはないと思います。僕の特技がピッキングだったってだけで、そうでなければ4階の窓を叩き割って飛び降りているはずです。それだとゆっくり心の準備が出来ない上に窓の修理費を家族が負担することになりそうなので屋上に来たのですが・・・。
「おい」
 再び、可憐な声を僕に投げる少女。大丈夫、フェンスの網目は細かいので僕の自殺が邪魔されることはありえません。けれどこんな見た目中学生くらいの少女の目の前で命を散らすのはなんとなく可哀想なので、彼女がここを離れたタイミングで飛び降りることにしましょう。とりあえず少女は僕に呼びかけているので、返事をしてあげなくては・・・
「なんですか?」
 年下にも敬語。それが僕のポリシーです。少女は黙ったままフェンスにギリギリまで顔を近づけて、まるで自分の顔を見せ付けるようにしています。が、僕がなにも反応できないでいると、どうしてか一瞬切なそうな表情を浮かべるのです。その表情になんとなく気圧されて、僕はたじろいでしまいました。少女の桜色の可愛らしい唇がゆっくりと動きます。
「死ぬのか?」
 瞬間、僕は悟りました。あぁ、この少女はただものではないぞ、と。外見相応の少女に対する対応をしていては痛い目を見るぞ、と。僕は少し自分の頭の中で返事を考えて、結局、
「ええ、まぁ」
 と曖昧な返事を返しました。「なんとなくフェンスを越えたら戻れなくなっちゃったから、誰か呼んできてくれないかな?」とでも言おうと最初は考えていましたが、少女の全てを見透かしたような醒めた目つきを見て考えを改めました。
 少女は何を考えているのか、あるいは何も考えていないのかといった曖昧な表情を浮かべて、
「もったいないぞ」
 と呟いてから、
「どうして死ぬのだ?」
 と尋ねてきました。
 僕は少し悩みました。少女がどういった意図でここを訪れたのか全くわからないので、あるいは少女がどうしてこの病院にいるのかがわからないので、どう答えたものかと考えてしまったのです。もしかしたら少女の母親が胃癌で入院していて、なんとなく気晴らしでここに来たのかもしれません。だとすると僕が正直に事情を話したら、彼女にとってなんらかの悪影響を及ぼすのではないか、と。
 まぁ、正直に答えましたけど。
「病気の進行が酷く、このままでは周囲の人たちに苦労をかけてしまいかねないんです。だからそうなる前に、終わらせてしま・・・ガフッ、ゴホッ・・・!」
 突然むせて、咳が出てしまいました。感染るわけなんてないのに、僕は無意識で少女から顔をそらして口を袖で押さえます。案の定、口いっぱいに広がる鉄の味。吐き気もこみ上げてきて、そういえば眩暈もしてきました。
 僕の様子を見た少女はしばらく黙り込み、そして無言のままに小さな手で手招きをしました。どういう意図の手招きなのかがわからず僕は硬直してしまいますが、どうやら僕の顔をもっとこっちに近づけろ、というジェスチャーのようで、僕は不承不承少しだけかがんで少女と目の高さをあわせます。
「もっと」
 すぐ目の前の少女はそういって、より強く手招きをしてきます。もっとって言われても、このままではフェンスに顔がくっついてしまうのですが・・・とりあえず言われるままに、僕はもっと顔を近づけます。ひんやりとしたフェンスが僕の鼻と額に触れました。
「もっと!」
 やや語調を強めて、有無を言わせない雰囲気の少女が、より強く手招きします。
「いや、もっとと言われましても・・・」
「なら口だけでもフェンスの隙間を通せ」
 僕は頭の上に疑問符を浮かべつつも、どうせ今日までの命だし、と少女のよくわからない指示にも従ってあげることにしました。顔にフェンスの網目が残るかもしれないのも厭わず皮膚を押し付け、口をフェンスよりも向こうに行くようにしました。一体なにをしようと言うのです、と僕は半ば呆れたような心持で構えていると、そこで初めて少女は満足げに微笑みました。それは僕が今まで見たどんなものよりも魅力的であるように感じ、さながら美術品のように僕の目を惹きつけました。
 だからこそ、反応が遅れたのでしょう。
 少女は一瞬の微笑の後、すぐに自分の顔をさっと近づけ、その桜色の小ぶりな唇を、フェンスから突き出した僕の唇に接触させたのです。
 つまり、キス。
「・・・は?」
 僕は慌ててフェンスから顔を離して、力いっぱい後ろに下がりました。予想だにしない少女の行動に驚いてのとっさの行動だったのですが、僕のその反応に少女は目を丸くして、口を開きました。
「おい!」
「・・・え」
 僕は自分の裸足の踵がコンクリートに勢いよくぶつかったことで、直前まで自分がどこで何をしようとしていたのかを思い出すのです。すなわち僕は自殺をしようとしていたところで、ここは4階建て病院の屋上の、そのまた安全フェンスの向こう側の縁なのだと。
「うわぁぁあああああ!!?」
 ところでみなさん、ご存知でしょうか。こういった建物の屋上というのは結構、縁に段差が設けられていることが多いということを。例えるなら競泳プールの飛び込み台のような、高めの段差が設けられているのです。僕はそれにつまづいてしまったというわけなのですが・・・それのせいで僕の上半身は地上4階分の高さに投げ出され、そしてそれのおかげで僕の下半身は屋上に踏みとどまることが出来たのです。すなわち、鉄棒に足だけでぶら下がるような体勢で、逆さ吊りとなったのです。
「うぐ・・・ぐぐぐ!」
 別に助かりたいと思っているわけではないのです。ただ、このまま落ちてしまったら、まるで少女のせいで僕が落ちたみたいになってしまうのではないかと考えたのです。そんなことになってたまるものかと、僕はなけなしの力を腹筋に結集します。が、病に蝕まれた体力ではそれも難しく、すぐに僕の心は諦めモードに移行していきました。・・・脳内会議の末、賛成過半数、自殺決定です。
「あの、キミ!聞こえてますか!?別にこれはキミのせいとかではなく、どの道僕は死のうとしていたわけですし、遺書だってあります!なので今から僕は落ちますけど、気にしないでくださいね!?」
 僕に見えるのは、病院の裏にある鬱蒼と茂った森と、運良く無人の病院の駐車場・・・を、逆さまにした景色です。なので少女が何をしているのかなど見ることが出来ません。見ることが出来ませんが、直後に僕のプルプルと震える足に加わった衝撃が嫌でも状況を伝えました。もちろん、少女が僕の足を蹴っ飛ばしたとかいう衝撃ではありません。むしろそれとは真逆で、少女は素早くフェンスを乗り越えて、僕が引っ掛けている足に座ったようなのです。
 当然そんなことをすれば、僕が膝を少しでも伸ばせば少女は地上4階分の高さを身をもって体感することとなります。
「な、なにやってるんですか!これじゃ膝を伸ばせないじゃないですか!?」
「膝を伸ばす?こんな場所でくつろごうなんて、肝が据わっているな」
 少女はさきほどの微笑とは対極のイヤラシイ笑みを浮かべて、僕に手を伸ばしてきます。
「掴まれ」
「は、はぁ」
 掴まらなければ少女ごと落ちてしまうこの状況。他に選択肢のない僕はそろそろと手を伸ばし、小さくて温かい手に掴まりました。すると信じられないような力で引き寄せられ、あっという間に少女と同じ目線まで引っ張り上げられてしまいました。現在の体勢は、僕が屋上の縁に座り、その僕の膝に少女が跨って足を宙に投げ出すというものです。この体勢に僕はなんとなく気後れしてしまいますが、少女の方は平然と僕の目をまっすぐに見つめてきます。
「まだ病気は苦しいか?」
 僕は一瞬なにを言われているのかがわからず混乱しましたが、すぐに異変に気が付きました。かなり体に負担がかかるようなことをした直後だというのに、さきほどまでの吐き気や眩暈、それどころか、このところ慢性的だった胃の強い痛みまできれいさっぱりと治まっているのです。
 そんな僕の様子を満足げに眺めた少女は、やっぱりイヤラシイ笑みを浮かべるのです。
「これで死ぬ理由は無くなったな」
「・・・キミは、一体・・・」
 僕が、僕に跨る少女に当然の疑問を投げかけようとしたとき、少女は僕の肩越しに駐車場を見ながら唇の端を持ち上げました。
「そんなことより、いいのか?・・・見られてるぞ」
「えっ」
 慌てて振り返って少女の視線を追うと、あぁ、なんということでしょう、かなり見覚えのある黒いワゴン車。そこから下りてきた壮年の男性と、彼に少し顔の似た中学生くらいの男の子が、こちらを見上げているのです。



「なにやってるの!!」
 突然僕がいなくなって、母さんと看護士さんは病院中を探し回っていたのだそうです。そしてあろうことか病院の屋上のフェンスの向こうで少女を膝に乗っけているところを目撃されて、僕の左側の頬は赤く腫れているというわけです。母さん、病人に容赦ないですね。
 ちなみに自殺の件を僕がどうやって誤魔化したかと申しますと、少女が「今日の0時にこの屋上で待ってるぞ」という言葉を残して姿を消したのを良いことに、少女を悪霊だと言い張ったのです。
「病室のベッドで窓の外を見ていたら白い少女が降ってきて、急いで下を見たけど誰も倒れていないのでおかしいなと考えていたら、急に意識が遠くなって・・・気が付いたら屋上のフェンスの向こうで座ってたんです。いやぁ、賢治さんと悟くんがいなかったら、呪い殺されていたかもしれません。助かりました」
 義理の父である鈴村賢治さんは、とりあえず納得してくれたようでした。しかし鈴村悟くんは銀フレームの眼鏡をくいっとあげて「非科学的」とバッサリ切り捨てていました。いや、いいんですけどね、べつに。
 そして早速僕は、主治医の太ったお医者様に体調の回復を訴えました。かなり手こずると考えていたのですが、
「確かに、やけに血色がいいねぇ・・・ふむ、いいだろう」
 とアッサリと再検診をOKしてくださいました。僕の中で彼の評価が名医になった瞬間です。おそらく僕のことを気遣ってくれたのだろうとは思いますが、しかし結果として僕の体調は完全に回復していたのです。先生も看護士さんたちも口をそろえて「ありえない」と首を傾げていました。とはいえ何かの間違いかもしれないということで、とりあえず今日は様子見として入院しておくことを勧められました。どっち道今日0時に病院の屋上に行かないといけないので、病院に不法侵入しないで済むのなら儲けものです。
 僕の体調が万全であることが発覚した後も、母さんと賢治さんはひっきりなしに僕のことを気遣ってくれました。母さんなんてボロボロと泣いていて、僕は心の底から自殺しなくてよかったと胸を撫で下ろしました。冷静に考えているつもりだったけれど、僕は思っていた以上に病に追い詰められていたようです。真っ白なベッドの上で、僕も少しだけ涙ぐみそうになりました。ただし義理の弟である悟くんの興味はもっぱら、屋上に行った途端に病気が治ったという事実と、彼も見たあの少女との関係に向かっているようで、それに関して彼からしつこく言及されました。会って3ヶ月の義理の兄なんてそんなもんです。しかしお見舞いに来てくれるだけマシと言えましょう。なにせ彼の双子の姉であり、僕の義理の妹である百ちゃんはお見舞いに行こうという誘いを蹴って家にいるのだそうですから。3ヶ月も一緒の家にいて、彼女と話したことなんて数えるほどしかありません。といいますか、僕が話しかけても無視されることが結構あって、それっきり僕も気を遣って話しかけないように気をつけているからなのですが。・・・とはいえ別段気にしているということはなく、そんなもんなんだろうな、くらいの印象です。僕は義妹萌えとかじゃありませんしね。なぜか前々から『妹』という言葉に引っかかりを覚えるのですが・・・。いえ、妹萌えでもありませんけれど。
 さて、それから1時間ほどして母さんたちは帰ることになりました。
「また体調が悪くなったら、すぐに言いなさいね?今回みたいにやせ我慢したら、余計に大変なんだから!」
「わかっていますよ母さん。ご迷惑おかけしました」
 家族にも敬語。それが僕のポリシーです。
「頼りないかもしれないが、なにかあったら私にも言ってくれ、叶くん」
「ありがとうございます」
 実際のところ、賢治さんがいなければ確かに僕はやけ我慢なんかせずに病院に行ったかもしれません。ただし言えなかったのは賢治さんが頼りなかったからではなく、僕が勝手に遠慮したからなのですが。
「今度お見舞いすることがあれば、百も連れてきますよ」
 ツリ目がちな瞳を穏やかに細めて、悟くんがそう言いました。百ちゃんがお見舞いに来てくれなかったことに地味に傷ついていたのがバレたのかと一瞬焦りました。
「いえいえ、無理に連れてこなくても構いませんよ。別に気にしていませんから」
「はぁ、そうですか。でもお兄さんが元気になったことを知らせたら、百はきっと泣いて喜ぶと思いますよ」
 ・・・? なんででしょうか。別に、僕が退院して百ちゃんが喜ぶ理由なんて、一切無いと思うのですが・・・?
「・・・マジかよ」
 僕が不思議そうな顔をしていると、悟くんは目を伏せてため息をつきました。僕は今の一連の会話で彼を傷つけてしまったのでしょうか。
 どう謝ろうかと考えているうちに、3人はそれぞれ簡単な別れの言葉を残して病室を去っていきました。
 静かになった病室で、僕はベッドに体を投げ出して、呆然とさきほどの屋上での出来事を思い出していました。あれは夢だったのか現実だったのか。しかし実際問題僕の体は信じられないほど軽くなっていますし、といいますか、やけに目がよく見えるようになった気さえします。以前から目が悪かったなどということはなかったのですが、それにしても現在の目の冴え方は尋常ごとではありません。
 とにかく、すべての真相は今夜0時、この病院の屋上で明らかになるはずです。それまで僕に出来ることといえば、病で消耗した体力の回復くらいのものでしょう。
 僕は患者服のポケットに隠しておいたくしゃくしゃの遺書をビリビリに破いてゴミ箱に投げました。もうあんなものを書く機会などなければいいのですが・・・。
 家のと違う枕に苦戦しながら、僕はゆるやかに眠りに落ちていきました。



 深夜0時。
 僕は施錠しなおされた屋上への扉を再びピッキングして開き、屋上に出ました。夜の外気はひんやりとしていて気持ちいいものでした。生憎曇っているので星空は望めませんでしたが、晴れていればかなりきれいな景色であることが予想されます。
 さて、秒単位で時間ピッタリに扉を開けて屋上に足を踏み入れたのに、人の気配はありませんでした。たった今扉の施錠を外したので当たり前といえば当たり前なのですが、もしかしたらすでに屋上で待っているかもしれないと考えたりもしていました。
 ・・・と、考えていたら貯水タンクの上に座ってこちらを見下ろしている少女が。
「・・・。どうやって屋上に入ったんですか?」
 驚きを通り越して呆れを含んだ僕の声に呼応するように、少女は貯水タンクを蹴って地面に着地を決めました。信じられない身体能力です。僕なら足の裏がじーんとして立ち上がれなくなっているであろう高さをものともしていません。
 まるで10年来の親友のような気軽さで近づいてくる少女は、すぐに僕の目の前にたどり着きました。ここまで近づくと、身長差の関係で僕は少女を見下ろす形になります。
「簡単だ。屋上から出なければいいのさ」
 少し考えて、
「じゃあ7時間以上も屋上に!?」
 僕の言葉には答えず、少女は静かに微笑みました。そして僕の胸・・・いいえ、おそらく胃を指差して、
「どうだ?」
 と短く尋ねてきました。
 僕はそこで改めて、目の前の少女のなんらかの何かによって体調が快復したことを思い出したのです。
「は、はい。病気は完治して、体の不調は全くもってありません。その節はどうもありがとうございます」
「完治してないぞ」
「・・・。はい?」
 僕は頭の中が真っ白になって、目の前のボブカットの少女の顔を呆然と見つめます。そんな僕の顔を見て、少女はイヤラシイ笑みを浮かべました。
「ただ、先送りにしただけだ。またしばらくしたら、病気が治ってる間の分も一気にぶり返してあっという間に死んでしまうよ」
「えっ? ええっ?? じゃあ、僕はまたすぐに死んじゃうんですか?」
「そうだ」
 正直、そりゃないよ、って感じです。まさにこの少女の目の前で死のうとしていた僕が何を言うんだと思うかもしれないですが、こんな頭の悪い僕でも母親のあの涙を見れば改心だってしますよそれは。もう今後は健康面以外でも親孝行しなければと心に誓っていたというのに。といいますか、死ぬって今簡単に言いましたけど、病気を延長しなければ死ぬかどうかは五分五分だったと思うのですが・・・悪化しているような気がするのは僕の気のせいなのでしょうか?
「だが生き残る方法はあるぞ」
 俯いて目を濁らせ始めた僕に、手が触れるくらいまで接近した少女は、僕を至近距離から見上げてきました。そして少女が口にした『生き残る方法』に心惹かれて僕が彼女と目を合わせると、少女は小さな手の白く細い指を、自分の唇に這わせました。
「先送りし続ければいいのだ。ずっと、ずっと、ず~~~っと。やり方は昼と同じ、フェンス越しじゃなくてもいいのだぞ?」
 言いながら少女は反対の手の指で僕の唇を撫でるように触れました。被虐趣味は無いのですが、あまりに妖艶な表情と仕草に思わずドキリとしてしまいます。
「もちろん、先送りをやめたら、すぐ死んでしまうがな」
 そして少女はくすりと笑って、僕から少し距離をおきます。
 つまり、僕は彼女の手によって『線引き』されたというわけでしょう。昼前までは、僕は生きるか死ぬか誰にもわからないような状態でした。助かるかもしれませんし、助からないかもしれませんでした。それを彼女は、生きるか死ぬかを明確に『線引き』してしまったのです。延長すれば生き、しなければ死ぬというわかりやすい状態に。
 完全に助かる可能性を捨てて、代わりに闘病生活を免除したといったところでしょうか。苦痛を取り除かれる代わりに、僕は彼女無しでは生きていくことが出来なくなったと、そういうことでしょう。
 なるほど、これは互いに五分五分の取り引きであると言えましょう。
 すなわち。
「だからこれからずっと、僕が死んでいいと思うまで、キミの奴隷になれってことだよね?」
 僕がやや棘のある、ささくれ立った言葉を投げると、少女は大きく腕を振ってそれを否定しました。
「奴隷だなんてとんでもない。やわらかく言えば、そう、所有物ってところか」
「もはや人間じゃないんですね」
「じゃあペットってところかな?」
「人間じゃないんですね」
 あくまで僕のことを支配下に置くつもりのようです。
 とはいえ内心では、僕はそれに関して反発する意思はありませんでした。それは僕が被虐趣味なのではなく、母さんに心配をかけることが無いからです。死ぬと決めれば即死ねて、それまでは健康体。生きるか死ぬかの闘病生活に比べれば、家族にかける心配は皆無に等しいと言えましょう。ですので少女には心から感謝をしているのです。
 ただしそれを認めてしまうと、僕に対する扱いが酷いものになるのではないかと思って、天秤の重しを微調整しているところなのです。
「よしわかった。じゃあ部屋飼いの犬くらいの扱いを約束しよう」
「・・・」
 僕は慎重に自らの待遇を吟味し、
「わかりました。それで手を打ちましょう」
 とりあえず納得するのでした。
 彼女が猫派だったら大変なことになりますが、とりあえず自分の部屋に犬がいることを想像して、酷い扱いが出来るかと問われれば答えは断固NOです。
 僕の答えを聞いた少女は目に見えて浮かれているようでした。そんなに部屋飼いの犬が欲しいのならペットショップにでも行けばいいと思うのですが・・・。もしかしてマンションとかに住んでいるのでしょうか。マンションだから犬が飼えないので、代わりに年上の男をペットにするって・・・逆転の発想とかそういうレベルではありませんよ・・・?
「そうかそうか。なら退院までに部屋を片付けておこう。貴様の分のスペースを作らなければな」
「・・・。え?」
 危うくスルーしそうになってしまうくらい自然なトーンで発せられた言葉に、僕は慌てて噛み付きます。
「いえ、あの、ペットというのは比喩表現であって、本当に部屋で飼うわけではありませんよね?」
「?」
 何を言っているんだこいつは、というような表情を浮かべる少女に、僕は全身が粟立ちました。総毛立つ、とはまさにこういったことを指す言葉なのでしょう。
「高校男子が、誰とも知れぬ中学生くらいの女の子のペットになるために家を出るなんてことができるわけないじゃないですか。え、そこまでは理解できますか?」
「?」
 僕は直感しました、この少女、常識的な価値観で生きていないと。非常識な能力をもっている彼女は、もはや僕の知る常識を適用できない存在なのかもしれません。いえ、諦めたらそこで試合終了です。僕は今、将来の岐路に立たされているのです。すなわち、誇りある人間か、ペットの犬かの、岐路に!
 少女は聞き分けの無い子供をあやすような優しい口調で、僕に歩み寄りながら語りかけてきます。
「部屋飼いだから、家では首輪はつけないぞ? それに食べ物は人間用の缶詰を出してやるし、2人っきりの時なら人の言葉を話したって怒らないぞ?」
「そ、それが本気で最大限の譲歩だというなら、今すぐ僕は死を選びます・・・!」
 ごめんなさい母さん、それと賢治さん、悟くん。僕は犬として生きるより、人間として死ぬことを選びたいと思います。わかってくれますよね・・・?
 僕のいろいろ諦めた表情を見て焦ったのか、少女は声色を高くして言葉を重ねました。
「じょ、冗談だ! 冗談に決まっているではないか!」
「で、ですよね・・・」
「私の傍を離れなければ首輪なしで外を歩いてもいいし、料理くらい作ってやるし、家の外でも他人と話さなければ人の言葉を話してもいいぞ!?」
「・・・・・・・・・。」
 その「どうだ・・・?(ドキドキ)」という表情を即刻やめていただきたいと思うのですが、ダメなんでしょうか。え、本気で言ってるんじゃないですよね? そんな人を人とも思わない扱いが出来るわけありませんよね・・・? 今のも冗談ですよね? 天丼ってやつですよね?
「くっ・・・わかった、家の中での衣服の着用も、許可しようッ・・・!!」
「なに苦心の末に出した結論っぽく言ってるんですか!? むしろ今まで僕は基本全裸っていう扱いだったんですか!? あっぶねぇッ!!」
「な、なんだと!? さすがに貴様、贅沢すぎないか!?」
「え!? この主張を日本では『人権』って呼ぶのかと思ってましたけど!?」
 ダメですこの少女! 本格的に僕のことをペットとして扱う気しかありません! もしかしてずっとこの病院の屋上で自殺者(ペット候補)が現れるのを待っていたのでは・・・?
 とにかく僕は、最悪屋上から飛び降りることを念頭に置いて、最後の質問、という名の賭けに出ます。
「あのですね。じゃあ、「これだけは絶ッッッッッ対に譲れない!!」という条件を1つ出してください。それいかんで、僕はそこから飛び降りるか条件を追加するかを吟味したいと思います」
 もしも少女が「四足歩行は譲れない」とか言ったら、迷わず夜の空にフライアウェイを決めたいと思います。逆に「一緒にいられるだけでいいの」とか新婚さんみたいなことを言い出した場合はもう少し条件を足してもいいと考えています。一応恩人と言って言えないこともないような関係ですからね。ある意味マッチポンプな気もしますが・・・。
 少女は散々悩みに悩みぬいて、そして指を2本、僕に向けました。
「2つ、ある。どうしても譲れないのが、2つ」
「・・・。聞きましょう」
 ゴクリと生唾を飲んで、少女の言葉を待ちます。僕の脳内には様々なパターンの少女の言葉を浮かび上がっては沈んでいきます。少女は苦痛に耐え忍ぶようななんとも言えない表情を浮かべて、可愛らしい唇を開きました。
「1つ、私とは何があっても必ず毎日会うこと。2つ、私には丁寧語をやめること。この、2つだ・・・」
 僕の反応を注意深く伺う少女。きっと僕がフェンスに向かって走り出したら冗談だと言って引き止めるつもりなのでしょう。
 しかし、僕の予想に反して彼女の提出した2つの条件は、僕の人権を踏みにじるようなものではありませんでした。
「それくらいなら・・・大丈夫ですが・・・」
「・・・! そうかそうか、よかった」
 嬉しそうに、強張った表情を弛緩させる少女。その歳相応の表情を見て僕も少し安心しました。
「ではこれから条件を追加していってもいいのか?」
「今僕の中で急上昇したキミの株が大暴落する気がしてならないので、とりあえず遠慮していただけるとありがたいです」
「むぅ・・・そうか」
 とりあえず、少女と僕との取引は成立しました。僕は真っ当に闘病生活を送ることを免除された代わりに、少女無しでは生きていけない体になってしまった。少女は僕に対して絶対的優位に立って条件を飲ませる代わりに、定期的に僕を延命するためにキスをしなければならない。
 これが、僕と少女の契約。
「契約成立、ですね」
「貴様が丁寧語を使っているうちは、未成立だろう」
 そういえばそうでした。目の前の少女にだけは、丁寧語で話さないという条件でした。ずっと丁寧語で生きてきたので、どうにも難しいものです。
「そういえば、キミの・・・」
「キミではなく、『お前』だ」
「お前・・・の、名前はなんていうん・・・だ」
 うぅ、やりにくいです。もはや丁寧語がタメ口のようなところがありますからね、僕は。下級生や同輩に丁寧語なので、先輩には尊敬語を使っているくらいですし。
 僕のその問いに、なぜかあからさまに顔をしかめた少女は、すこし溜めてから、
「・・・。しずく つかさ。 四十九と書いてしずく、司ると書いてつかさ。四十九 司」
「そっか。よろしく、司ちゃん」
「呼び捨て」
「・・・よろしく、司」
「よろしく、叶くん」
 ・・・。
 あれ? 僕、名乗りましたっけ? いえ、もしかしたら誰かが僕のことを話しているのを聞いていたのかもしれません。
 僕と少女、司は握手を交わし、互いの存在を認め合いました。
 これが僕と司の出会いでした。


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