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「六つの穴」


 当時、僕は小学五年生でした。自分で言うのもなんなのですが、僕は体力も運動神経もなければ、頭が良いわけでもない、言ってしまえば劣等生というやつでした。そのためことあるごとに同じクラスの男子五名(以下、A、B、C、D、Eとします)に苛められていました。僕は誰にも助けを求めることも出来ないくせに、誰かが自分を助けてくれるのを心の底で願っているような小心者で、その虐めにも容易に屈してされるがままに甘んじていました。苛めの内容はありがちで、コンパスで背中を刺される、なにかと笑いものにされる、ズボンを下ろされる、意味も無く暴力を振るわれる、というようなものです。
 しかしある時ぱったりと苛めから解放されることとなります。新たな標的が、見つかったためです。
 夏休みが終わってすぐに、転校生が来ました。その姿は見るからに異様。雪のように真っ白な長い髪と肌、炯々と輝く紅い瞳・・・一言で言い表すなら「白兎のような女の子」といったところでしょうか。顔立ちも悪くなく、朗らかな笑顔は好印象、背も高く脚もスラリと長い。ただ、その白い髪が原因で苛めの対象となってしまったようです。うちの小学校はかなりの田舎にあり、そういった異様な外見をおおらかに許容する心の持ち合わせがなかったのです。実際、僕も最初は少しだけ、気味が悪いな、と思ってしまいました。なにかの病気だろうか、それとも呪いだろうか、近づいたら感染したりしないだろうか、と根拠のない思考をしたものです。それは僕だけではなかったようで、クラス中から奇異や畏怖の目を向けられて、彼女は転校初日から居心地の悪い思いをしたに違いありません。
「おい雑巾。お前で掃除してやるよ」
「そうだそうだ、雑巾なんだから、当然だよな」
 その白い髪を取り上げて「雑巾」などというあだ名を定着させたのは、言うまでも無く僕を苛めていた男子五人組です。日々エスカレートしていく苛めによって輝くようだった白い髪も肌も薄汚れていき、なるほど「雑巾」というあだ名はなかなか的を射ているな、と不謹慎なことを思ったものでした。僕は苛めから解放され、苛めが始まる前に仲の良かった男子と再び友達になりました。彼らは申し訳なさそうに、気まずそうにしていましたが、僕は彼らを憎んだり恨んだりはしていませんでした。僕だって同じ立場だったら見捨てて知らん振りをしたに違いありません。何も出来なかったに違いありません。だから彼らを恨むのはお門違いというものです。・・・ですがあの五人組は別です。転校初日、自己紹介の時の白い彼女(仮にWとしましょう)の朗らかな笑顔が、今や見る影もありません。床に顔を押し付けられている彼女のあの表情には、見覚えがあります。毎日毎日嫌というほど鏡の前で見てきた表情なのですから。僕はどうにかして彼女を救いたいと考え始めましたが、しかし力も無く頭も悪い僕になにかができるはずもなく、無常にも時が流れていきました。

 Wの転校から一週間が経ちました。僕は放課後の無人の図書室で物思いに耽っていました。今日のWに対する苛めは特に酷かったです。理科の実験中、ガスバーナーを扱っている最中にWが先生の話を聞くために黒板に注意を向けている間に、同じグループだった例の五人組のうちの二人がWの長い髪の毛をガスバーナーでこっそりとあぶり始めたのです。後ろの方の席だったおかげでいち早く気付いた僕はさすがに見ていられなくなり、わざと椅子から転がり落ちて大きな音を立てました。音に驚いたWが異常に気付き、幸い大事には至りませんでした。が、白い髪の先端から5センチほどが黒くちぢれてしまっており、見るからに落ち込んでいました。
 経験上、先生は頼りになりません。いいえ、他の学校の先生はどうか知りませんが、少なくともうちの学校の先生は、てんで頼りになりません。苛めは見てみぬふり、相談しても相手にされません。Wが自分の両親に相談してくれればそれで解決するかもしれないのですが、もしかすると僕のように変に意地を張って我慢しているかもしれません。かれこれ一週間も苛められているわけですから、彼女も頼れる人がいないのかもしれません。あるいは、まだクラスの子や先生が助けてくれるなんてことを信じているのかもしれません。
 僕は情けない自分に自己嫌悪になりながら、立ち上がりました。頭の悪い僕がどうこう考えても仕方がありません。それより、もしかしたらこの知識の宝庫である図書室になにか素晴らしい情報でもあるのではないか、と思って本棚の間を歩き始めました。もちろん自分が苛められているときも同じようなことを考えて同じようなことをしましたが、解決できていません。だから今回も無駄に終わるだろうと考えていたのですが、ふと気になる本が目に入りました。

 「妖怪・幽霊・魔法の図鑑」

 いかにも子供騙しといった装丁のその本は、これまで見たことのない本でした。図鑑というわりと薄かったので手にとって見ると、なかなか面白い内容でした。僕は本来の目的も忘れて、本棚の前でパラパラと立ち読みを始めました。あまりに熱中していたのでしょう、その間に図書室に入ってきた人物に気がつくのが遅れてしまいました。向こうも薄暗い本棚の影に隠れるように立っていた僕には気付いていなかったようで、二人同時に「「あ」」と声を上げました。
 その相手というのが、Wでした。
 白い髪、白い肌、赤い瞳、自己主張の弱そうな表情。いいえ、初日にはもっと溌剌とした表情だったように思われましたので、おそらくこの一週間の間に打ちのめされて、そんな表情となってしまっていたのでしょう。Wは僕に気がつくと意味も無く「ごめんなさい・・・」と呟いて、図書室を後にしようとしました。僕は意味もなく彼女に手を伸ばして声をかけようとしましたが、かける言葉を捜している間にWは図書室を出て行ってしまいました。なんだか胸にぽっかりと大きな穴が開いてしまったような気分になり、手にしていた本を読む気も失せて、最後に何気なく目次のところを見て、そこで目をとめました。ぴりっと脳に電流が走るような感覚を覚え、「目次」の「魔法」の項目のうちの一つ、「呪い・呪術・まじない」の欄をまじまじと凝視しました。不自然に高鳴る胸の鼓動を感じながら、鼓動に合わせて脈動する視界の中で他人事のようにページがめくられていきます。いくつかの呪術を見て、その中でも効果が高く、それでいて手軽に実行できそうなものを見つけました。

 「丑の刻参り」

 その名前は・・・確か昔、妹に借りた漫画に登場していたような気がします。漫画のタイトルは覚えていませんが、物騒な肩書きでマヌケなあだ名の小学校の先生がタイトルになっていたような気がします。とにかく僕は連絡帳の最後の方のページに「丑の刻参り」の重要そうな項目や必要な道具などを書き出して、完全下校時刻ギリギリで図書室を後にしました。
 丑の刻参り・・・丑の刻(午前二時~三時くらい)に神社の木で、標的の髪の毛を詰めた藁人形を五寸釘で打ち付けることで対象を呪う呪術。僕は若干の高揚感を覚えつつ帰宅し、すぐに必要な道具を探し始めました。が、まず最初に探し始めた蝋燭の時点で見つかりませんでした。家族に聞いて「そんなもの何に使うの?」などと聞かれては困るので一人で探したのですが、どうしても見つかりません。よくよく考えてみれば、蝋燭や鉢巻、木槌や五寸釘などはともかくとしても、白装束、下駄、藁人形なんてものがうちにあるとは思えません。どうしようもない状況にようやく活路を見出したと思ったのに、早速頓挫してしまった僕の絶望感はかなりのものでした。そもそも呪いなんてものが成功するかもわかったものではありませんし、結局やってることは他力本願です。僕は情けないようないたたまれない気分になって、玄関に向かいました。往生際の悪いことに、とりあえず丑の刻参りをするための神社の下見に行こうと考えたのです。途中、妹に見つかってどこへ行くのか訊ねられましたが、僕は「散歩」と適当な生返事を返して家を出ました。
 秋は釣瓶落としと言いますが、僕が神社に着くころにはすっかり日が沈んでしまっていました。わざわざ踏み切りを挟んだ遠くの、人気のない寂れた神社を選んだせいもあると思いますが・・・。夜の神社というのはやはり不気味で、僕は意味もなくきょろきょろしながら境内に足を踏み入れました。誰もいない神社をしばらくうろうろと彷徨っていると、ふと、周りの音がどんどん遠のいていっているのを感じました。それというのも、生ぬるい風によって揺れる木々の葉擦れの音や、神社から少し離れた交差点を通る自動車のエンジン音などが聞こえなくなったのです。いいえ、意識してはいなかったので今までも聞こえていなかったのかも知れませんが、その時の僕にとってその現象は異様に不気味なものに感じられました。そしていつの間にやら、僕は神社の賽銭箱の前に立っていました。目の前の障子戸の奥に、急に人の気配を感じたような気がして鼻の奥がツンと痛みましたが、それならそれで好都合です。僕が恐れるような存在が本当にいるのなら、きっとこの場所から考えるに、神様かなにかなのでしょう。だったら、僕の願いを聞いてくれるかもしれません。すくなくとも、誰もいないよりはずっとマシのように思われました。僕は意を決して、賽銭箱の手前に垂れ下がった太い縄に手をかけました。呪いのために来たので賽銭はありませんでしたが、ダメ元で僕は縄を引っ張りました。が、縄に繋がれている大きな二つの巨大な鈴は鈍い音をわずかに発するだけでした。もっと力を込めて縄を振り回すと、今度は高く大きな音が神社内に響き渡りました。あまりにいきなり大きな音がなったので僕は内心びびりまくりながらも、なるべく平静を保つように心がけ、障子戸の向こうにいるのかもしれない存在に聞こえるように大き目の声で、言いました。
「僕のクラスの五人・・・A、B、C、D、Eという男子を、殺してください」
 言ってから、自分の発した「殺す」という言葉の響きに背筋を凍らせながらも、しかし自分が彼らに殺意を抱いていることは隠しようもない事実でしたので、敢えて訂正するようなこともなく、僕は障子戸に向けて、言葉を続けました。
「一週間前まで、その五人は僕を苛めていました。そして今は、別の女の子を苛め始めました。僕らは苛められなきゃいけない理由はありません。僕はバカでのろまだけど、その女の子は、ただ髪が白いってだけの普通の女の子なんです。苛められるべき子じゃないんです。お願いします、あの子を助けてください。あいつらを、殺してください」
 じわじわと足元から悪寒がのぼってくるような錯覚がありました。けれども勿論神社が返事をするなんてこともなく、僕は音のない世界でただ立ち尽くすことしかできませんでした。やがて虚しくなって踵を返し、神社を後にしようと鳥居に向かおうとしたその時、視界の端・・・神社の周囲に植えてある太く高い木々の隙間に、なにか白いものが見えたような気がしました。一瞬「白装束」というワードが脳裏を掠め、もしや丑の刻参りだろうか、とも考えかけましたが、まだ「丑の刻」まで6時間近くあるのでありえないだろうと結論し、次に思い浮かんだのは、今まさに自分が口にしていたクラスメイトの少女、Wのことでした。まさか、と思い後を追いかけようとして鳥居をくぐろうとした、その時。背後から生暖かい、今まで体験したことのない不気味な風が吹いてきました。と同時に、
 ガランガランガラン!!
 と凄まじい音を立てて、さきほど僕が鳴らした鈴が鳴り響きました。僕は驚きすぎて蹴っつまづき、転びそうになりながら背後を振り返りました。・・・が、特に人気のない、真っ暗な神社は異常なく、再び静まり返っていました。とても不気味に思いましたが、よくよく考えれば今の風で鈴が鳴ったのだろうと当時の頭の悪い僕は結論し、高鳴る胸を撫でながら、今度こそWの姿を探しましたが、すでにどこにも人の姿は見当たりませんでした。
 その日の夜、僕は夢を見ました。向こう側の見えない真っ暗なトンネルの前に立ち尽くす僕を、トンネルの中にいる「ナニカ」が呼んでいました。よく見ると、継ぎ接ぎだらけの大きなテディベアのようです。ただし頭身は僕と同じくらいで、手足も無理やり引き伸ばされたかのように僕と同じくらいの長さになっていました。それがどうにも不気味で怖くて泣いていると、3年前に死んだ祖父が僕の肩をぽん、と叩きました。祖父の顔を見た瞬間に、おじいちゃんっ子だった僕は安堵のあまり抱きつこうとしました。しかし今まで僕を可愛がってくれた祖父らしからぬ、信じられないほどに冷たい無表情で、祖父はボソリとこう言いました。

 「・・・馬鹿なことを」

 その朝、僕は全身に汗をかいて起床しました。涼しい朝だったので不思議に思っている僕に、母は「怖い夢でも見たんじゃないの?」とからかうような口調で言いました。確かに夢を見たような気はします。が、どのような夢だったかはどうしても思い出せませんでした。テレビでは、僕の住んでいる地方の南西に大雨・洪水警報が出ていました。
 学校へ行ってみると、なにやら教室が騒がしく、なにかがあったようでした。しかし特に異常は見つからず、僕は不思議に思いながらも自分の席に着きました。しばらくしていつもよりずいぶん遅く教室に入ってきた先生の言葉を聞いて、僕は心臓が止まるかと思いました。
「皆さんに悲しいお知らせがあります。どうか落ち着いて聞いてください。・・・・・・今朝、C君が亡くなりました」
 教室中に広がるざわめきの波紋。一部の女子が短く悲鳴をあげるのを、先生が嗜めていました。しかし僕はそれどころではありません。周りの声がどんどん遠のいていき、自分の呼吸の音だけが僕の頭の中に反響してぐるぐると駆け巡っていました。
 先生の口から告げられた現実味のないその事実は、しかし次の休み時間にAが裏づけとなる証言をD、Eにしていました。というのも、どうやらAは今朝、Cと一緒に登校していたらしいのです。そしてAの目の前で、Cは突っ込んできたトラックに潰されてぺしゃんこになったそうです。Aの角度からではCがどうなったのかはわからなかったそうなのですが、一緒にその場に居合わせたBは、Cが死亡した瞬間をしっかりと目撃してしまったらしく、その場で卒倒。病院に運ばれていったとのことです。・・・ちなみにAが言うには、駆けつけたレスキュー隊員(?)らしき人たちが、しきりに「左腕はどこだ?」「左腕は見つかったか?」と言っていたといいます。
 僕は頭を抱えました。こんな、こんなはずでは・・・。あの時、神社では、あんな奴ら死んだって構いやしないと思っていたのに、いざこうなってみたら、まったく良い感情は沸いてきませんでした。焦燥、悲哀、後悔、まさかこんな感情を抱くことになろうとは思いもよりませんでした。そして何気なく窓の外を見ようと視線を横に向けたとき、不意に誰かと目が合いました。逆光でも、その特徴的な色の髪と瞳ですぐにわかりました・・・Wです。そのトンネルのような深い深い瞳は、一体何を考えているのか窺い知ることを拒むかのようです。しかし無表情ではなく、たくさんの感情が入り混じりすぎて感情を読み取れない、というのが正解のように思います。
 あの時のWの表情は、今でも忘れることは出来ません。

 その次の日、晩夏の日差しは分厚い雲にほとんど遮られ、朝だというのにまるで夜のような薄暗さでした。バケツをひっくり返したかのような豪雨が地面を断続的に殴りつけているのを、僕はリビングのソファに身を沈めてぼけーっと眺めていました。きっとこれでは学校は休みだろうと判断して、僕は学校へ行くのをやめました。まだ連絡はないんだから、と母親は苦笑いしていましたが、妹も僕に倣って幼稚園をボイコットしたため、母親も何も言ってきませんでした。テレビでは僕の住んでいる地区にも大雨・洪水警報が発令され、注意が促されていました。
「おにー、プリキュア見ていい?」
「いいよ」
 僕はテレビが見やすいソファを五つ下の妹に譲って、録画したプリキュアを流してやり、その足で自分の部屋に戻りました。ベッドに身を投げ出し、昨日のことを思い出していました。僕が死ぬように祈った、呪った人間が死んだ。偶然かもしれない。いいえ、多分偶然なのでしょう。きっと宝くじに当たるような偶然が、起こってしまったのです。けれど、どうしても気分が悪いものです。誰にも知られていないとはいえ、僕がCを呪ったことは事実なのです。死ねばいいと思ったことは事実なのです。それがどうしても心に引っかかって、喉に刺さって取れない魚の小骨のような不快感と疼痛を与えてくるのです。
「大丈夫なんだ。僕は何もしてないんだ。しょうがないんだ。偶然なんだ。大丈夫、大丈夫、・・・・・・大丈夫」
 自分に言い聞かせるように僕はそう呟くと、ゆっくりと目を伏せて体から力を抜きました。深呼吸を繰り返し、ぐるぐるとせわしなく回転を続ける頭を意識して鎮めるよう努めました。その甲斐あってか、僕はいつの間にやら二度寝をしていたようでした。
 しかしその睡眠は、僕に安らぎを与えてくれることはありませんでした。
 夢を見ました。
 僕は真っ暗な場所にいて、ふと振り返ると少し離れた位置にトンネルの入り口がありました。僕がそちらへ向かおうと足を踏み出すと、いきなり僕の腕が誰かに掴まれました。見ると、それは見覚えのある大きな大きな継ぎ接ぎだらけのテディベア。無理やり引き伸ばしたかのような、僕と同じくらいの身長のテディベア。そのトンネルのような暗い暗い、深い深い、真っ黒なで無表情な瞳が、虚ろに僕を映していました。
「なに?」
 僕は不愉快な思いを隠しもせずに訊ねました。
「・・・」
 テディベアは答えません。ただただ僕の腕を掴むだけ。
 ・・・掴む?
 僕はあらためてテディベアの腕を観察しました。継ぎ接ぎだらけのテディベアの左肩から生えているのは、紛れもない、生々しい質感の人間の腕でした。腕の断面は無残なもので、その腕は乱暴に糸のようなものでテディベアに縫いつけられていました。
 テディベアは何も言いません。
 ただただ虚ろに僕を見つめるだけ。
 ・・・まるで品定めでもするかのように。
 目が覚めると、僕はぐっしょりと汗をかいていました。そして今度は夢の内容をほとんど覚えていることが出来ました。同時に、以前見た夢と、祖父の言葉も思い出すことが出来ました。一体、祖父は何を言いたかったのでしょうか。
 僕はふらふらと部屋を出て、リビングに向かいました。妹はプリキュアを見終わったのか、今度はDSでポケモンをやっていました。
「おにー、「からてチョップ」ってなに?」
 僕は妹のおでこに軽くチョップをしました。
「これの100倍痛いやつ」
「じゃあやめるー」
 そう言って妹のダゲキは野生のムンナにインファイトを使い即死させていました。きっと腕とか千切れ飛んだに違いありません。
 その日の夕方、僕の家に思わぬ客人がありました。Wです。僕はいまだ土砂降りの豪雨の中佇むWを玄関に招くことも忘れて、ただただ呆然とWの顔を見つめてしまいました。僕がそうしていると、Wは持っていたクリアファイルを僕に差し出してきました。そこで初めて、Wがランドセルを背負っていたことに気がつきました。
「もしかして今日、学校あったの?」
 Wは首肯しました。
「あ、ありがとう」
 僕はWの手からクリアファイルを受け取り、中身がどうやら今日配布されたプリントらしいことを確認しました。
 そしてWは、まるで「ついで」のように恐ろしい事実を告げてきました。
「E君が死んじゃった」
「・・・え?」
「今日、川に流されちゃったって」
「・・・」
 なにも言えない僕の目をじっと覗き込むようにしてWはしばらくその場を動きませんでした。が、やがて、
「じゃあ、また明日」
「・・・う、ん」
 傘を差しているのに腰のあたりまでずぶ濡れのWは、一度も振り返らずに帰っていきました。この時の僕は混乱していて、動転していて、いろいろなことに気がつかずに思考停止をしているだけの人形でした。
 川に流されたというだけでは、Eが死んだとは限らないんじゃないか、だとか。
 なんでこんな洪水警報中にEは川に行ったのか、だとか。
 Wはそれをどこで聞いたのか、だとか。
 どうして僕の友達ではなくWが、僕にプリントを届けてくれたのか、だとか。
 どうしてWが僕の家を知っていたのか、だとか。
 頭の悪い僕は、そういった疑問を能動的に覚えることはありませんでした。
 その日の夢に出てきたテディベアの右足は、生々しい人間の足と入れ替わっていました。

 次の日、嘘みたいに晴れ渡った晴天のなか学校に着くと、教室内はお通夜のように静まり返って、沈痛で陰鬱な空気で満たされていました。間髪いれずに二人のクラスメイトが死んだとなっては当然ですが、一部の生徒の間では「好き勝手やってきた天罰じゃないか」などという声も聞こえ、AやDを怯えさせていました。Bはまだ病院から帰ってきていません。BはEが死んだことを知っているのでしょうか。
 一日ぶりに見る先生の顔は見るからに憔悴しており、そんな血色の悪い先生が放った言葉により生徒たちの顔色からも血の気が失われてしまうこととなりました。
「昨日、川に流されたというE君が、亡くなって見つかりました」
 僕は貧血だか酸欠で気が遠くなりそうでした。教室内には一昨日ほどのパニックは無いにせよ、気の弱い女子などは泣きそうになっていました。僕はなんとなく、きっとE君は右足を失った状態で見つかったのではないか、と思いました。そしてよくよく今の状況を見て、どうして昨日の段階でWはEが死んだと断言できたのか、ここで初めて疑問に思いました。・・・昨日ほどの大雨の中で川に流されて生きているとは、僕も思えませんでしたが。
 そうして机に花瓶が二つ置かれた教室で、僕たちはその日の授業を受けることとなりました。昼休み、僕が黙って自分の席に着いて机の表面に視線をやっていると、AとDがひそひそと話している声が聞こえました。
「やっぱ、あのテディベアだよな・・・」
「みんな言ってたもんね、BもCもEも。ねぇ、あのさぁ、Aの首のとこ、ちょっと赤くなってるけど・・・」
「おい、やめろよ!」
「ち、ちがくて・・・だって、ぼくの足の付け根にも、赤い痕があって、昨日お風呂で気付いたんだけど・・・」
「気のせいだろ、バカなこと言うな。汗でかぶれたんだよ」
「・・・・・・」
 僕は確信しました。あのテディベアの夢を、Aたちも見ているのだと。聞いている限り、Aは首、Dはおそらく左足に赤い痕がついているらしく、たしかテディベアは左腕と右足が人間のものに変わっていました。ということは、あまり考えたくないことですがBの右肩あたりにも赤い痕がついているのではないでしょうか。
 僕はようやく、呪いの全貌が見えてきたような気がします。そういえばAが、Cの左腕をレスキュー隊員が探していたと言っていました。その左腕は見つかったのでしょうか。
 きっとあのテディベアは、自分の手足を集めているのでしょう。一人一人、一本一本・・・
 僕は背筋に氷でも流し込まれたように寒気を覚えて身震いしましたが、今更僕になにかが出来るとも思えず、なるようになればいい、と投げやりに考えていました。僕は悪くない、あいつらが悪いんだ、と。人に恨まれるようなことを、憎まれるようなことを、呪われるようなことをするから、こんな目に遭うのだと。震える手をこすり合わせて落ち着け、僕はなにも考えないように努めながら教室を後にしました。
 その夜に見た夢で、すでに僕の立っている位置からはトンネルの入り口の光は豆粒ほどにしか見えず、長さの不揃いな生々しい両足を手に入れたテディベアが、執拗に僕をトンネルの奥へ奥へと引きずっていきました。呪われてない僕を一体どこに連れて行こうとしているのか、少し気になり始めている自分がいて、僕は少し驚きました。
 トンネルは深く深く、暗く暗く、長く長い。
 テディベアの黒い両目と、鼻、口、両耳はトンネルのように暗く、ぽっかりと口を開けたそれらは、なんだか顔に穿たれた六つの穴のように見えました。

 翌日、やはりというかなんというか、Dが死んだということを先生の口から聞かされました。先生は意図してDが死んだ理由についてぼかしているような感じで、どうやら普通ではない状態だったようです。流石に小学生でも、みんなそれを察していました。
 Aの怯え様は尋常ではありませんでした。しきりに自分の首に浮かび上がった赤い線を撫でながら、人が変わったかのように憔悴し、落ち窪んだ眼窩に収まった眼球をぎょろぎょろとせわしなく動かして、またそんなAの様子に教室中の不安は加速しました。犠牲者は、なにも例の五人だけで済むとは限らないのですから。
 僕もさすがにそんな様子を見て、まだ自分は悪くないと目を瞑り耳を塞いでうずくまるようなことは出来ませんでした。
 もうとっくに遅いとは知りながら、その日の夜、僕が五人の死を祈った神社へと足を運びました。なんだか数日ぶりに訪れたというのにすっかり雰囲気が変わってしまったような気がして不気味でした。なんだか、以前よりも闇が濃いような・・・音も遠く、なんだか胸を締め付けられるような、内臓がすっかり消えうせてしまったかのような体の違和感も覚え、無意識に足が震えていました。ですがAやBの恐怖は、きっとこんなものではないはずです。僕は自分を奮い立たせ、どうにか賽銭箱の前まで辿り着きました。が、その段階ですでに口を開くことができるような状態ではありませんでした。
 まるで・・・無限の深さを誇る穴の前に立たされているような、壮絶な不安感で体中が竦みあがり、痙攣のような激しい体の震えを自覚していました。一秒だってこんな場所にいたくない、という本能の主張と、ここまで来てしまったのだから後戻りはできない、というちっぽけな責任感がどうにか拮抗し・・・一体どれだけの時間だったでしょうか、きっと数分だったのでしょうが、僕にとっては数時間の葛藤だったようにさえ思えました。
 僕は、あの五人・・・すでに二人になっていましたが・・・を赦してもらえるようにお願いすることにしました。そもそも始まりは僕の醜い感情だったのですから、せめて僕の手で終わらせようと、僕は縄へと手を伸ばし・・・
 ガランガランガランガラン!!!
 僕は縄に手を触れていませんでした。縄もまったく動いていませんでした。風も吹いていませんでした。それなのに、縄に取り付けられた二つの鈴は狂ったようにけたたましい咆哮を上げ続けました。
 ガランガランガランガランガランガランガランガラン!!!!
 多分僕はなにかよくわからないことを叫びながら、腰が抜けたのも構わず、這いずるようにして神社から逃げました。当然、なにもお願いすることは出来ませんでした。ただただみっともなく泣き喚きながら元来た道へ逃げ帰りました。しばらく逃げて、家の近くの踏切りまで辿り着いて、ようやく僕は正気を取り戻しました。
 あれは、今のはなんだったのか、ぐちゃぐちゃな頭ではまともに思考することもできず、暴れ狂う心臓が落ち着くまで線路の脇に並んでいる小さな石柱にしがみついて震えていることしかできませんでした。神社に戻るような勇気もなく、その日はおとなしく家に帰りました。
 当然と言うかなんというか、その夜のテディベアはついに両手両足が揃っていました。
 残すは、頭のみ。

 次の日、先生の口からBの死が告げられたとき、Aの姿は教室にありませんでした。まさかもう・・・と教室中の誰もが思ったに違いありません。しかし三時間目の体育の途中で、Aは姿を現すことになります。
 その日はまだ豪雨の影響でグラウンドがぬかるんでいて、新しいほうの体育館は別のクラスが使っていたので、僕たちのクラスは老朽化した旧体育館でドッヂボールをしていました。小学生というのは単純で、少し前まで沈み込んでいた雰囲気も忘れて楽しんでいました。さすがに僕はみんなと一緒にはしゃぐほどの元気もありませんでしたが、あの五人がいないおかげで執拗にボールを叩きつけられるようなこともなくなったWを横目で見ながら、彼女がみんなと一緒に、普通にドッジボールに参加できている様子を見て、僕はまた自分の罪深い呪いを心のどこかで正当化しようとし始めていました。が、そんな薄っぺらな誤魔化しを否定するかのように、体育館に現れた人影がありました。担任の先生はちょうど体育館の教員室に引っ込んでいたところで、ドッジボールに熱中する子供たちの中で、Wの背後に迫る、果物ナイフを手にしたAに気がついたのは、はじめからWを見ていた僕だけでした。
「あぶない!」
 と言ったつもりでしたが、正しく発音できていたのかはわかりません。が、とにかくWは異常に気がついたらしく、一瞬遅れてクラスの女子の悲鳴が炸裂しました。幸いというべきかはわかりませんが、Aの振るったナイフはWの腕を軽く掠めただけでした。Wはその場に尻餅をついてしまい、他の生徒は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑いました。僕はというと逃げたい本能と助けたいという気持ちが拮抗して、縫い付けられたように足を動かせずにいました。遠くの教員室から先生が何事かと顔を出しますが、AやWのところまでは30メートルくらいあったので、Aの持っている果物ナイフに気がついたとしても、きっと間に合いません。
 死人のようなげっそりとした顔つきのAは、震える両手でナイフを握り、動けずにいるWとの距離をじりじり縮めていきます。そして呂律の回っていない口で、うわ言のように言葉を紡いでいました。
「お前が悪いんだ・・・お前のせいだ・・・お前が俺たちに仕返しを・・・悪魔女め・・・」
 口の端から涎を垂らしているAの様子は、映画で見るようなゾンビそのものでした。まともに話が通じるとも思えませんし、そもそも会話をする余裕なんてあるとは思えません。
「お前がしねぇぇええ!」
 正気を失ったAが、果物ナイフを振り上げてWに迫りました。今までどんな苛めを受けても声一つ上げなかったWも、流石に両手で頭をかばって悲鳴を上げていました。同様にクラスの女子も劈くような悲鳴を上げ、顔色の失せた担任が、あと半分ほどの距離で意味もなくWの名前を叫んでいました。
 運が良かったのは、Aが憔悴していて周りを見る余裕がなく、また睡眠不足のせいかほとんど体力も残っていなかったというところでしょうか。僕が回りこんで真横から不意を突いた体当たりをしかけると、拍子抜けするくらいあっさりとAは体勢を崩し、何度もよろめきながら5メートルほど行ったところで仰向けに倒れてしまいました。その瞬間、なぜか僕はAの首筋に浮かんでいる真っ赤な線から目を離すことが出来ませんでした。
 直後、ただでさえ老朽化していた体育館は先日の豪雨の影響で予想以上にガタが来ていたらしく・・・天井の一部が崩落して、「偶然」真下に転がっていたAを呆気なく押し潰しました。
 その日の記憶は、それからほとんどありません。気がついたら僕は自分の家のリビングのソファに転がっていて、ほとんど意識もないまま窓の外を眺めていました。母がなにか言っていますが、僕はその意味を考えることもなく、ただただ虚無感に襲われていました。もしかするとこの虚無感が呪いの代償なのかも、などとしょうもないことを考えながら・・・。
 代償・・・と自分で考えておきながら、その言葉に背筋が寒くなりました。なにかで読んだ覚えがあります。悪魔と契約すると、魂を持っていかれてしまうのだと。便利なものには、それ相応の代償がつき物です。でなければ、世の中はきっと呪いだらけになってしまうはずですから。ならば、丑の刻参りや、僕が行った呪いはどんな代償を払わなければならないのでしょうか。
「ご飯よ~」
 母親がそう言いながら、僕の肩を揺すりました。
「食欲ないよ・・・」
「なにかあったの?」
「・・・」
 たくさんのことがありましたが、そのどれもが説明の難しいことですので、僕はうんざりしながら起き上がりました。
「あら?」
 そこで母親は僕の首筋を見ながら驚いたような声を上げ、
「首のところ、赤くなってるけど・・・引っ掻いたりした?」
 ぞわっ、と全身に鳥肌が立ちました。喉が干上がり、視界が灰色になっていくのを感じました。ほとんど何も考えずに、こけつまろびつ洗面所まで走って、自分の首筋を確認しました。今までは真上からの照明で影になっていて気付きませんでしたが、確かに僕の首筋にはうっすらと赤い線が浮かび上がっていました。なにか悲鳴のようなものを叫びそうになり、あわてて口元を押さえて堪えました。しかし・・・そんな・・・、テディベアの頭は、Aではなかったのか? 僕は混乱する頭で、テディベアの姿を頭に思い浮かべました。まだAが死んでから夢を見ていないので確信はありませんが、おそらくAの潰された死体には頭が無いと思います。そして、それで呪いは完全に終わ・・・・・・
 そこで思考は中断せざるをえませんでした。僕は洗面所の鏡を凝視し、脳裏を掠めた最悪の想像を確かめるべく、ゆっくりとシャツを脱いで、目眩で倒れそうになりました。僕の両肩には・・・いいえ、きっと両足の付け根にも、赤い線が浮かび上がっています。まるでちょうど、「キリトリセン」のように。
 これが代償。呪いの代償なのでしょうか。自分の力で解決しようとしなかった天罰。あの五人と同じように、無残な最期を遂げるのが、僕の運命だということなのでしょうか。五人と同じように両手足を奪われ、頭を奪われ・・・・・・
 違う。
 頭の悪い僕はそこでようやく気付きました。
 まだ残っているではないか。
 何度も何度も目にした、あの呪わしいテディベアの姿。Aの頭を差し引いても、まだ一箇所、テディベアと入れ替わっていない場所が。

 「胴体」。

 持って行かれるのは手足ではなく、胴体。だから首や手足の付け根に線が・・・・・・
 全てを理解した僕は、ほとんど何も考えられない状態で、再びソファに沈み込みました。母親がなにか文句を言っていましたが、僕は引き込まれるように意識を失ってしまいました。
 もうこれで六回目になる、あのトンネル。見慣れていたはずの、しかし別人のように生気を失ったAの顔を貼り付けたテディベアは、それぞれ違う人間から回収した手足をぎこちなく動かして、僕をトンネルの奥へ奥へと案内します。ほとんど諦めたかのように、僕はそれに導かれるままについていきました。永遠にも思える長い長い道のりの果てに、ようやくゴールが見えました。白い光・・・あれが出口なのか、と思い近づくと、それは僕の勘違いだったとすぐに理解しました。出口の光のように見えたその白は、こちらに背を向けたWの長い髪でした。すぐ近くまで来るとWは僕たちに気がついたようで、振り返り、そしてまたあのなんともいえない表情を浮かべたあと、最後に、ほんの少しだけはにかんで・・・・・・

 目が覚めると、僕は自分のベッドにいました。そして覚醒と同時に、どうして僕にも呪いがかかってしまっていたのか、その理由がなんとなくわかったような気がしました。
 ベッドから出てすぐに、僕は妹の部屋から「地獄先生ぬ~べ~」という漫画を引っ張り出してきて、文句を垂れる妹を無視して読み漁りました。そして僕の考えは正しいかもしれないと思い、それを確かめるために僕はその日、土曜日の学校へ向かいました。
 人気の無い校舎を進み、幸い鍵のかかっていなかった図書室へと辿り着きました。そして今週の月曜日に読んだ図鑑を手にとって、窓際の席に腰掛けて読み始めました。この前は読み飛ばした、「呪い・呪術・まじない」のページの頭の部分・・・「呪いとは」という項目に、はっきりと、こう記されていました。

 「呪いをかけるところを、見られてはいけない。もしも見られた場合、速やかに目撃者を殺害すべし。さもなくば呪いをかけた術者も呪いに殺されてしまう」

 最後に見た、あの夢。そして月曜日の、走り去っていった白い人影。
 やっぱり・・・

「やっぱり」

 僕はその声に驚いて、飛び跳ねるようにして背後を振り返りました。まさか誰も来ることは無いだろうと開けっ放しにしていた図書室の扉から、今まさに思考に上っていた少女が顔を出していました。僕はシャツの襟を立てて、首筋の赤い線を見られないように気をつけながら、手にしていた本をゆっくりと閉じました。
「W・・・」
「やっぱり・・・なんとなく、ここにいるんじゃないかなって思ったんだ」
 気軽に図書室に踏み込んでくるWには見えないように、僕は本を椅子の下に隠して、彼女に声をかけました。
「なんで「やっぱり」なの?」
「ううん、なんとなく。あのね、変に思わないでほしいんだけど・・・昨日、○○くん(僕の名前です)が夢に出てきたの」
「・・・へぇ」
「暗くて一人ぼっちで怖い夢だったんだけど、○○くんが来てくれて、すごく安心したんだ。嬉しかった」
「・・・」
「○○くんに助けられたのは、これで三回目だね」
「え?」
「あの五人をやっつけてくれたのも○○くんだし、昨日もAくんから助けてくれたし、夢の中でも助けてくれた。三回も」
「・・・やっぱり、あのとき神社にいたのは・・・」
「うん。・・・私ね、昔から嫌なことがあると神社とかにお参りに行くんだ。誰かに助けてもらってばっかりの人生なんだ。死ぬまでに一回くらい、誰かを助けてみたいけど、体も弱いし、頭もそんなにだから、多分だめだろうね。はは・・・」
 そんなこと・・・と言いかけましたが、僕は声を出せませんでした。彼女にかける言葉が見つからなかったのです。Wを目の前にして喋っているときも、僕の頭の中ではあの言葉がぐるぐると巡っていました。「目撃者は速やかに殺害すべし」という、あの言葉が。
 僕はただ、助けたかっただけなのに。自分と同じ境遇になった女の子を哀れに思って、だけど自分ではなにもできない臆病者だから、もっと強力な存在に助けてもらいたかっただけなのに。
「僕は・・・なにもしてないよ」
「ううん、もしもあの五人が今でも元気だったとしても、私は○○くんに救われてたんだよ」
「え?」
「あの時、神社で私のためにお願いしてくれたのを聞いた時、すごく嬉しかったよ。今まで教室には味方なんていないと思ってたから。みんなみんな、何を考えてるのかわからない、怖い存在に見えてたから。○○くんが私を助けたいって思ってくれてたことを知れただけで、多分私は苛めなんて我慢できたと思うんだ。・・・実際はもっと大げさなことになっちゃったけどね」
「・・・」
「うん、それだけ。今日はそれだけ言いたかったんだ。もし私にできることがあったらなんでも言ってね。協力するから」
「なんでも、協力?」
「うん」
 今までの人形のようだった少女が、一転して朗らかな、転校初日に見せた笑顔を浮かべていました。そう、その笑顔を取り戻すために、僕は・・・・・・
 僕は気がつくとWの正面に立っていて、彼女の両肩に手を乗せていました。
「○○くん?」
 少しだけ怯えたように、しかしあくまで笑顔のまま、Wは僕の名前を呼びました。僕の頭の中ではいろんなものがぐるぐると、ぐちゃぐちゃと渦巻いていました。死んだ五人のクラスメイト、呪いの神社、継ぎ接ぎだらけのテディベア、無表情の祖父、自分を心配してくれた母親、まだ小さい無邪気な妹、家族のために単身赴任で家を空けている父親、そして目の前の・・・
 僕の手は、Wの肩からゆっくりと首に伸びていきました。自分で制御した動きではありません。ほとんど無意識の行動でした。僕の無意識が、自分で助けようとした少女を自分で殺そうとしていたのです。我が身可愛さに、罪の無い少女を殺そうと・・・
「うん、やっぱり近くで見ても、綺麗な髪の毛だね」
「え、あ、ありが、とう・・・?」
 僕は精一杯に嘘っぱちの笑顔を浮かべてWの髪を一撫ですると、彼女の脇を通り過ぎて廊下に出て、昇降口までわき目も振らずに駆け抜けました。やっぱり僕はどこまで行っても臆病者で、なにもできないようです。
 弱さのせいでいろんなものを諦めてきた僕が、自分の命を諦めた瞬間でした。

 散々寄り道して、日が沈んだ頃。
 家に帰ると、ちょうど母親が出かけようとしているところでした。
「遅かったわね。ごめんね、ちょっと出かけてくるから。ご飯待っててね」
「妹は?」
「今は寝てるから、ちゃんと見ててあげて」
 僕はちょっと迷ってから、
「出かけるのさ、あと20分だけ待てない?」
 と聞きました。
「お願い。あと20分だけだから」
 怪訝そうな表情だった母親でしたが、僕の様子が少し違うことに気がついたのか、僕の言うとおりに20分だけ待ってくれることになりました。
 僕はランドセルを自分の部屋に置くと、妹の部屋に直行しました。僕が部屋に入ったときにはすでに起きていて、眠そうに目をこすっていました。
「おはよう」
「おはよー」
 どんな言葉をかけようか少し迷いましたが、なにも思い浮かばなかったのでとりあえず抱きしめることにしました。
「おにー?」
「お母さんをよろしくね」
「・・・?」
 妹の体はとてもあったかくて安心しました。いいえ、僕の手足が冷たすぎたのかもしれません。首や手足の付け根が痛い。逆に手足の感覚はあまりありませんでした。
 妹と違い、母親には迂闊なことを言うと勘ぐられそうだったので、黙って行くことにしました。10分で帰ってくると母親には言っておき、訝しげにしているのを強引に説得して僕は家を出ました。最期の「いってきます」となるはずです。赤い線が僕の寿命を如実に物語っていました。すぐ背後に、あのテディベアが迫ってきているのを感じました。Aの虚ろな顔面を貼り付けた、寒気のする造形の一部に組み込まれるのは納得いきませんが、五人の人間を死に追いやった代償と考えれば、当然なのかもしれません。僕は無意識に神社の方へと足を運んでいました。遠くのほうから「カンカンカンカン」という音が聞こえてきました。恐らく踏切りの音でしょう。なんとなく僕の死因がわかったような気がしました。
 踏み切りに近づくにつれて音はだんだんと大きくなっていきます。
「カンカンカンカンカンカン」
 体がバラバラになるような事故が自宅で起きたら、母親や妹も巻き込みかねません。鉄道の人には迷惑でしょうが、それはどうにか我慢していただきたいと思います。
「カランカランカランカランカランカラン」
 踏切りが見えました。と同時に、僕は首を傾げました。
「ガランガランガランガランガランガラン」
 踏み切りは赤く点滅していませんでした。遮断機も下りていません。しかし音はずっと鳴り続けています。とても不吉で、聞き覚えのあるこの音は・・・
 僕が答えを出す前に、踏切りの向こうに白い人影が現れました。
 Wです。
「○○くん。私ね、今まで人に助けてもらってばっかりだったの」
 なぜか突然、踏切を挟んだまま、Wはそんなことを言い出しました。図書室で言ったことを、もう一度。確認するように。
 どうしてでしょう、無性に寒気がしました。それに、体に違和感があります。自分の体にも、Wの体にも。
 僕が黙っているのにも構わず、Wは続けます。
「私ね、○○くんに対してどんな感情を向けるべきなのか、ずっと悩んでたんだ。いくら私のためでも、クラスメイトが死ぬように願うなんて、ちょっと怖かったの。すごく自分勝手な感想だと思うけど・・・」
 だからWは、たびたび僕に対して、なんとも言いがたい複雑な表情を向けていたのか・・・僕は妙に納得する気持ちでWの言葉を聞いていました。けれど、胸の底から湧き上がる不安感を抑えきれずにいました。
 遠くからは、あの音がいまだに鳴り響いていました。
「それで本当に五人が死んじゃうし、ちょっと怖かった。けどね、それ以上に、やっぱり私は○○くんが私のために神社でお願いしてくれたことが嬉しかったんだと思う。だから実は、月曜日のあの後、○○くんが帰るのにこっそりついていったり、水曜日の雨でE君みたいに流されちゃったんじゃないかって心配になってプリントを届けに行ってみたりしたんだと思う。それにやっぱり、夢の中で会えたときも・・・嬉しかった」
 「あ、ストーカーみたいって思わないでね。じつは家も、かなり近かったんだよ!」と慌てたようにWは補足しました。
 僕は緊張で喉が張り付いて声が出ないまま、心の中で叫びました。どうしてそんな、過去形でばかり話すんだ、と。
 あの音がどんどん大きくなっています。
「だからせめてもの恩返し、みたいな。・・・受け取って」
 Wのその言葉に反応するかのように、今度は本当に踏切りの警報が鳴り始めました。ゆっくりと降りる遮断機が僕たちを分断しました。警笛と共に電車が近づいてきます。
 頭の悪い、鈍い僕はようやくそこで、違和感の正体に気がつきました。いつの間にやら、さっきまで冷たかった手足に体温と感覚が戻っていました。首や手足の付け根で痛みを発していた赤い線が、消えていました。
 ああ、どうしてWは、僕が図書室に置いてきたはずの本を持っているのでしょうか。どうしてWの真っ白な首筋に赤い線が走っているのでしょうか。どうして神社の鈴がけたたましく鳴り響いているのでしょうか。どうして家が近いと言っていたはずなのにWは神社の方向から現れたのでしょうか。どうしてWは遮断機をくぐって線路に足を踏み入れているのでしょうか。
 どうしてどうしてどうしてどうしてどうして・・・

「ありがとう、ばいばい」

 走馬灯のように緩慢な視界の中、それぞれ色の違う両腕に足を掴まれたまま、僕の頭の中に響く言葉がありました。それは最初に夢を見た時、亡き祖父が口にした言葉でした。

 「・・・馬鹿なことを」

 喧しい警笛が鳴り響く中、Wは白い残像を残して僕の前からいなくなりました。僕は頭の中が真っ白になりながら、無意識に絶叫していました。目を剥いて、頭を抱えながらひたすら絶叫して、喉から血が出ても絶叫して、頭を掻き毟り、わけのわからない言葉を喚きながら・・・・・・。
 鎮静剤を打たれて気を失うまで、ずっと誰かの名前を叫んでいたそうです。

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まとめ【「六つの穴」】

 当時、僕は小学五年生でした。自分で言うのもなんなのですが、僕は体力も運動神経もなければ、頭が良い
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